■タバルアの歴史  
1982年、タバルア島にひとりのサーファーが訪れた。男の名はデイブ・クラーク。サモアでの教職を終えたデイブは、パーフェクトな波がブレイクすると噂で聞いたフィジー諸島を訪れ、波探しの末にタバルア島にたどり着いたのだった。 現在はレストランツと命名されているパーフェクトなハイスピード・レフトを発見し、その虜になったデイブは、一周歩いてもわずか15分ほどの小さな島であるタバルア島にステイし、レストランツの波をひとり堪能し尽くした。その間、彼方に白い雲のような巨大な波煙らしきものが見えたが、移動手段がなかったデイブは、その波を肉眼で確かめることはできなかった。
タバルアで約1年を過ごしたデイブは、祖国であるアメリカに帰国する。そして友人であるスコット・ファンクとともに、今度はボートを持って再び島に戻った。もちろん、タバルアから彼方に見たあの波にアプローチするためだ。
島からボートで約15分ほどのところにあるそのリーフは、フィジー語でクルクルメランギンと呼ばれていた。英語に訳すと、サンダー・クラウド・リーフ。水平線に浮かぶ雲のようなその波は、ボートで近づくにつれ、次第にその姿を現わした。何本ものラインナップが、リーフに沿ってまるで絵のように崩れる。まさにパーフェクトだった。デイブとスコットはその波をクラウド・ブレイクと名付け、それから1年ほどふたりだけでサーフして過ごした。そして、クラウドブレイクとレストランツという世界有数のリーフを持つタバルアに、サーフリゾートを建設することを決意したのだった。
 小さなボートで材料を運んでロッジを作り、'84年にタバルア・アイランド・リゾートはオープンした。'93年からは、この島でボートマンとして働いていたジョン・ローズマンとリック・イズベルがデイブとスコットからリゾートを受け継ぎ、その後、徐々に施設を充実させながら、またフィジアン達と良い関係を築きながら、現在に到っている。
 オープンから16年。これまで、世界中からたくさんのサーファーたちがこの島を訪れた。一度体験したら、必ず再び訪れたくなるこの島だけに、現在では予約は数年待ちというほどの人気となっている。それでも、必要以上にコテージ数を増やすことはない。波を奪い合うことなく、限られた人数で最高の波を満喫できるサーフリゾート。デイブとスコットの夢は、今もタバルア・アイランド・リゾートに受け継がれているのだ。
       
タバルアは歩いて一周15分ほどの小さい島で、まさにサーフアイランド。この島での一週間は夢のようだ。
 
レストランツ。超高速でホレホレのブレイクは、サイズが上がるとチューブの中しか走るところがなくなる。
 
クラウドブレイク。スケールが大きく、サーフィンの総合能力が試される波。世界有数のレフトブレイクである。6-8feetでその真価を発揮する。
 
滞在中に催されるカヴァ・パーティ。カヴァとは植物の根からとったお酒のようなもので、フィジーの歓迎の儀式。中央がマネージャーのジョン。
 
「soooh,glassy bla!」ナイスガイ、タバルアボートマン。